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横尾忠則×木村裕昭「メディテーションとは潜在意識/幻想の世界」

 投稿者:チンパンジー・グル  投稿日:2019年 5月14日(火)20時02分34秒
  横尾:メディテーションの最中にぼくはいろんなビジョンを見たことがあるんですよ。ビジョンってのか、目はつむってるわけです。つむってるんですけど、そこにありありと映像が映し出されてくるんです。石仏が出てきたり、銀色に光った文字が出てくるわけです。

木村:あなたの潜在意識です。過去世の、いつか見た映像ですな。しかし、それを超えんといけまんね。

横尾:それで禅寺のお坊さんは、それは魔境だっていうんですよ。それにこだわってはいけない。

木村:しかし、恐れたらいかんのです。

横尾:また、それを見たいと思うんですよ。

木村:それもいかん。恐れてもいかん、好んでもいかん。

横尾:ほっとかなきゃいけない?

木村:その世界が「幻想の世界」です。

瞑想とは何かっていったら、コンセントレーション(精神集中)・アンド・メディテーション(リラックス)やと思う。両方が同時に瞬間的に起こらないとね、ぷわーっとこうなったら、みんなお化けみたいになって、やーっと踊りだします。そらあ、瞑想したら、潜在意識が全部出てくるからね。だからメディテーションは鎮静よりもむしろ解放的な意味があるでしょう。キーを取ってしまうところがあるから。

メディテーションの状態というのは、私のささやかな体験ですけれども、自分が呼吸しているんじゃなしに、宇宙の呼吸の中に自分の呼吸が一つに合体した感じ。

そのときには、自分が呼吸してるんか、宇宙が呼吸してるんか不即不離の関係になる。その呼吸になってきたとき、完全に自分がある別の波動を持っていることがわかる。そうすると、意識はどんどん拡大していって、まあ、ちょうど表現したら地球をどんどん離れていく結果、地球がきゅーと収縮しているような実感を持つ。だから、細胞から全部の自分が高速で拡大していくんです。

で、希薄になって宇宙を覆うような感じに自分の体がなっていく、意識が。そういうふうになってきて、そのときに自分が明確な意識を持った瞬間、その意識の波動がぶあーって自分から出るんです。ぱーっと光るんです。そのときに周囲空間を全部光らしてしまいます。

そういう体験をしたとき、そのままぼやーっとしとったら、いわゆる幽界からたかられるんです、地獄界から。そこへぱっと憑依されやすい条件なんです。

完全なメディテーションってのは、そこんところで明確に宇宙と自分がひとつになる意識をもって、そこで地球を思うんです。あるいは宇宙を。完全な善を思うといいますかなあ。完全を意識したらね、もうそれで終わり。自分の中から完全光が自分をチャンネルとして宇宙からわぁーっと出てきよる。

あの光を見たとき、はあ、おれから出た光やないと思います。宇宙は私をキー・ステーションにして、ばーっと光ったと思いますね。これさえつかんだら、宇宙は私の中を通り抜けて、外に出た実感をもったら、もうそれでええんと違いますか。

私はあれを玉手箱みたいな感じがしますけどね。あわてふためいて開いたら、全部わーっと出てくる。パンドラの箱みたいなもんが出てくるんですね。
 
 

横尾忠則×岩渕亮順「食べ物で運勢が変わる

 投稿者:チンパンジー・グル  投稿日:2019年 5月 8日(水)00時32分0秒
  横尾:『食物運勢学』っていう本をお出しになられたそうですが、ぼくがいちばん興味あることは、実はここなんです。食べ物によって運勢がどんなふうに転換していくかということですね。これも仏教医学に関係があるのですか。

岩渕:そうですね。栄養学との結びつきとか、それから易に近いものですね。食べ物で運勢がどうなるかっていう問題は、もちろん仏教医学に非常に関連があります。

またふつう運勢っていうと、手相とか人相とかですね。手相に出たら、だいたい自分の意思じゃ変えられないですよね。ところが、食べ物による運勢というのは、自分がそれをわかれば自分の力で変えることができるわけです。摂取するものによって、運勢を変えちゃうことですからね。摂取する食べ物と、その個人の性格によってね。それとの関係が非常に密接なわけです。選ぶ食べ物によって、性格が形づくられていくと

横尾:なるほど。たとえば、ある人にこの食物は有効だけれども、こっちの人にはあまりよくない。そういったこともありますか。

岩渕:ええ。たとえばね、非常に大胆で一般的な言い方になっちゃうけど、短気な人っていうのは、わりありと塩気の強いものを欲しがるんですよ。塩気の強いものを摂るということは・・・・

横尾:ますます短期になる。

岩渕:ええ、血液が酸性化しますから、理性で当然抑えられるようなことも抑えられなくなって爆発します。じゃあ短気なものがいけないな、とだんだんアルカリ性になるように食べ物を摂っていくと、人間の性格が円満になっていきますね。

逆に、あまり元気のない人とか、意志の弱い人は、自分を奮い立たせるようなのを摂らないと、いつも負け犬でいなきゃならないってことですよね。やる気の出る食べ物は、かつお節、ピーナツ、まぐろ、納豆、大豆、牛肉、鶏肉、チーズなどがありますが、なかでも納豆は、カルシウム、リン酸、ビタミンBなどが含まれていて、非常に栄養価が高く、やる気を起こさせる食品といえますね。

『今を生きる秘訣 横尾忠則対話集』(光文社文庫)
 

カルマとは「偏りの集積」

 投稿者:チンパンジー・グル  投稿日:2019年 4月24日(水)10時20分55秒
  カルマとはどういう理解かが問題ですけれどね。陰陽のバランスを狂わしたままやったらカルマ、陰陽のバランスが調節されて初めてカルマは解消されるわけです。

だからカルマというのは「偏りの集積」だ。潜在意識の中にある「偏り」を修正せずアンバランスな状態を続けて行った結果が魂に汚染したものがカルマですよ。

汚染物質というのは魂の中にひとつのアンバランスを生み出します。アンバランスはあくまでそれ自身としてバランスをとろうとする。エネルギーがアンバランスになってきたら、必ず地震を起こす。

それがカルマの現象です。そして地震が起こることになってまたエネルギー・バランスがとれるでしょ、大地はそのようにしてカルマが解消される。カルマが落ちたとは地震が起きて同時に大地のひずみが解消されるというようなものです。

カルマを貯めないようにするには、日頃から「偏り」を作らないようにすることですわ。だから、何か偏ったことしていると永久的にカルマがたまり、地震が起きるわけです。

『今を生きる秘訣 横尾忠則対話集』(光文社文庫)
 

横尾忠則×手塚治虫「自然淘汰と寿命」

 投稿者:チンパンジー・グル  投稿日:2019年 4月23日(火)19時12分46秒
編集済
  手塚:昆虫の世界でも、あるいは動物の世界でも自然淘汰というのがあって、増えすぎれば食糧危機もくるし、居住スペースの問題もあって、自然に大量に死んでいきますよね、殺し合いが起きて食い殺されたからこそ、バランスがとれてまた安定した生活状態に戻るということは、人間にも常に行われているような気がして、それをぼくはよくテーマとして取り上げることです。それはある意味では事故であり、あるいは戦争かもわからないわけですよね。そういうことが行きすぎた人間社会のアンバランスの中で自然に起こってきている。ちょうどバランスよいところまで戻し、その戻した時点からまた復活していく。つまり自然淘汰の法則に人間も従わざるをえないということでしょう。それはもう宿命だということなんです。すると戦争肯定みたいなものがときどき漫画にちらっと出てしまう。そうすると、左翼が怒る(笑い)。

横尾:インドのベナレスなどでよく見る風景ですが、生きようとする人と、死のうとしている人が同居しているああいう世界に触れてしまうと、言葉とか思想を超えた、なんともいえない、人間っていったい何だろうというとてつもない命題にぶつかっちゃうんですよね。

手塚:人間ていうのは、虫もそうなんだけど、死ぬときはコトンと死ぬと思うんです。本当に形容的にコトンと死ぬと思うんですよ。ドラマの中ではオーバーにいろんなジェスチャーしたり、まあドラマのクライマックスになるせいもあって大騒動して死んでいくわけです。しかし、本来人間ていうのは、やっぱり死ぬ時期がくれば、コトンと本当に何のてらいもなく死んでいく、単なる生物だと思うんです。

僕は医者のはしくれだったせいもあるけど、人間の平均寿命というのはこのくらいものだから、それ以上生きられたらこれは生き過ぎなんだ、当然死んでも仕方ないだろうと、そういう割り切った気持ちはあるんですよ。ぼくは「火の鳥」でいいたかったことは、そのなかで70歳なら70歳生きてる人の人生を質の上で大きくすることしか考えられないだろうということなんです。70歳なら70歳のなかでそれを永遠の生きがいみたいなものに結びつける方法がないだろうかと。

『今を生きる秘訣 横尾忠則対話集』(光文社文庫)
 

横尾忠則×木村裕昭「内なる神、もう一人の私」

 投稿者:チンパンジー・グル  投稿日:2019年 4月18日(木)16時58分35秒
  木村:あなたは信仰持っている?

横尾:いや、ぼくは信仰はないですね。両親は非常に信仰深かったですけどね。

木村:それは宗教の話でしょ。あなたの生き方に対する信仰は?

横尾:いや、ぼくは何か見えない力とか、見えない存在の助力を信じてますね。

木村:そうでしょ。たとえば、湯川秀樹さんは素粒子を研究しとるのは、その科学の方法を信仰しているからです。その意味では全部信仰を持っている。

横尾:ぼくは、天に手をあわせて天を仰ぐということをしませんけど、まあ、自分自身の中に自分を支える力があるんじゃないかっていう、そういうぼく自身の生命力のようなものは信仰します。

木村:それが自分の中の神であるとしたら、どうでしょう。まだやってみない先に絶対作れるという、絶対に近いものを自分の中に感じるということは、すでに神を知っていることになりますね。

横尾:ふうん、そうですね。創作の世界においては神かもしれませんね。

木村:でしょ。

横尾:ええ、それがなければ、ぼくは創作を自分でできないと思いますね。

木村:自分の内にある力に自分をゆだねるという、そのときに自分が2人に分かれるでしょ。その、もう一方の自分が本当の自分です。これをつかんだら、もうほかはいらんやないですか。

横尾:しかし、いろんな神仏を信仰しましてですね、奇跡が起こったっていう方がいらっしゃいますね。

木村:それはリラクゼーションですよ、単なる。甘えの心理を持っている人、他力本願の人、そこに身をゆだねて心配せんから。そういう他力本願の甘えの人はね、情緒志向の人だけどそれでいい。しかし、知性の発達した人は甘えや他力本願では間に合わん。そのときには、常に自分を瞑想することによって、内なる神を知って、それで精神を集中することによって、それを表さなきゃ。自分の内に神が活動していることを実感したときに、初めて神が現れる。実感なくして神を語るというのは、これはナンセンスと違いますか。

『今、生きる秘訣 横尾忠則対話集』(光文社文庫)
 

横尾忠則×今西錦司「目に見えない世界」

 投稿者:チンパンジー・グル  投稿日:2019年 4月17日(水)19時34分8秒
  横尾:今西さんは超常現象、たとえばテレパシーとか、スプーン曲げなど、そういったことはどう考えますか。

今西:うーん、非常にわしはね、ああいうことはあると思うんですよ。それで、ひと口に言うたらやね、奇跡ちゅうもんやな、霊が来るちゅう、これはあってもええと思うねん。さしつかえないと思う。しかし、今の科学時代ちゅうものはね、だれでもが触れるものとか見えるものとかね、つまり、五感で感覚するもの以外は認めないという約束のうえに成り立っているんだよ、科学というものは。

横尾:そうですね。

今西:それ以外に見えない世界は、いっぱいあったってやね、ちっとも不思議ではないのやでえ。科学は、それは取り上げないとうだけでね。だからテレパシーなんてことはいくらでもあってええことやけれども、科学の世界からいうたら普遍だと、万人にわかるということを前提にしているわけですよ。ところが、ああいう奇跡というのは、昔の高僧とかね、いろいろな人がやってますけどね、それが自分でやらなくても同感するという心の働きが昔の人にあったわけや。それは今は心が荒れてしもうて同感せんのやな。

横尾:それと、今、世界的に超能力現象というのが激増してますね。現に日本でユリ・ゲラーが来たときにすいぶん超能力少年が連鎖反応を起こしたように出てきましたね。

今西:子どもはまあね、小学生あたりはまだ汚染というところまでいってへんわな。だから彼らの中からそういうものが出てくるのは当然かもしれん。おれの孫も一人、フォークを曲げるやつがいよるんだよ。そんなことはやめとけと言いよるんやけど・・・(笑)

横尾:そうですか。ぼくはそういう少年が現れるということは、人類の進化を予感する歴史的必然性だと思いますが。

今西:だいたい目に見えん世界があってもいいのや。そういうものはないと教えるのが、今の学校教育よ。このへんから考え直さんといかんのやけどね。日本みたいに安易というか、科学主義に染まるちゅうのはないですよ。外国だったら、まだキリスト教ちゅうのが滅びていやへんのやからね。科学は科学としてその約束の下にやるけれども、そのほかに神はいるし、目に見えん世界もあるし、奇跡もあるし、こう思うているやつがたくさんいるわけや。日本人はそこのところを全部捨ててしもうて、学校で習うたことが正しいと思うておるからね。大変これは心細い話よ。

『今、生きる秘訣 横尾忠則対話集』(光文社文庫)
 

横尾忠則×木村裕昭「意識している間は治らない」

 投稿者:チンパンジー・グル  投稿日:2019年 4月15日(月)16時10分27秒
  横尾:ぼくなんかも、ものの考え方や性格を変えたいって思うわけですけど、非常に難しい作業じゃないかなあと思ってね。変えようって気持ちが働いている以上、なんか変わらないんじゃないかなっていう気がするんですね

木村:いや、そこがわかる方は変わります。そこがわかるとね。では、なぜそう思われますか。

横尾:変わりたいということですか。

木村:変わろうという意識が働いている間は変わらないということ、ここに謎があるんです。

横尾:うーん、そうですね。なんかぼくはやっぱり、そこに意識が集中していくと、どうしてもこだわりになっていきますね。

木村:そのとおりです。潜在意識の中で変わらないもんだということを認めているからです。たとえば治りたいとい病気は絶対治らない。治りたいという気持ちを完全になくしたときに、勝手に治っていくものです

横尾:そういった形で、投げ出してしまうということですね。その投げ出すってのは、やっぱり、なんか大きな触発か、ある状況に自分をぎりぎりのところまで持っていった状態で、もうどうでもいいっていうことが起こらないかぎり、無理じゃないかなあっていうふうに自分で思うんですけどもね。

木村:そのとおりですけどね。ぎりぎりまで自分を持っていく、あるいはそういう客観情勢が起こったときにそうなるというのは、顕在意識という自分のわずかな経験とか、あるいはそういうテクニックでは現状止められないときに、その波長が静まるわけです。そしたら自分の中の意識が活動するのと違いますか。だから過去の習慣とか、古い習慣とか、古いものの考え方、古い観念というものが通用しなくなったときに、初めて本来の力が発揮されるということです。その本来の力が何かということが、最初に認識できれば、そんな苦労せんでいいわけですよ。

『今、生きる秘訣 横尾忠則対話集」(光文社文庫)
 

横尾忠則×岡本太郎「芸術とは感動する方が天才」

 投稿者:チンパンジー・グル  投稿日:2019年 4月14日(日)09時10分58秒
  横尾:岡本さんは他人の作品を見て感動されたことはないですか。

岡本:人の絵で感動したのは数回あるだけなんだ。いちばん最初18のときにパリに行って、何日目からに初めてルーブル美術館に行った。古い有名な絵がいっぱいあるけどそれほど感心しなかった。セザンヌの絵が仮にかけてあって、それにえらい感動した。

横尾:仮にかけてあったとはどういうことですか。

岡本:それまではセザンヌは入ってなかったんだ。あそこは生きている人の絵は置かない。だけど、セザンヌが死んでから何十年後かに、ルーブルに入ることになって、仮にそこにかけてあったんだね、あっと立ちすくんだ。涙が出るほど感動した。

横尾:それはセザンヌに感動されたんですか。それともルーブル美術館の中におけるセザンヌに感動したんですか。

岡本:ほかの古典的なうまい絵なんか見ていて、途端まるで違う絵、いわゆる近代絵画だな、それに生身でぶつかったわけだ。その後、その同じ絵を見てもちっとも感動しないんだけどね。

横尾:それがセザンヌでなくてゴッホだってよかったかもわかんないですね。

岡本:けっきょく、作品を見て感動した絵も素晴らしいのだろうけども、感動した方が天才なんだと。絵のほうは知らん顔をしてるが、こっちが感動したんだから、あっちに見えたものが天才じゃなくて、それに感動したこちらが天才なんだ。

『今、生きる秘訣 横尾忠則対話集』(光文社文庫)
 

横尾忠則×岡本太郎「瞑想とは無償、無条件な状況」

 投稿者:チンパンジー・グル  投稿日:2019年 4月13日(土)21時43分53秒
編集済
  岡本:瞑想というと普通は、静かに想念を深めることを考えるだろう。だけどぼくのは逆だね。もっと爆発する、命を無条件に押し開いていくことが、僕にとって瞑想なんだ。無条件にね。だから創作活動におけるというふうに限定するのは、なにかピンとこないな。全体的に、あらゆる枠を超えて生きることが、ぼくにとっては瞑想だね。

横尾:岡本さんがいう瞑想というのは、日常生活の中のあらゆる行為、考え方、そういったものが全部瞑想だとお考えになってらっしゃるわけですね。

岡本:もっと、はっきりいえば、無償、無条件な状況に自分を置くことが瞑想なんだ。こうすると成功するとか、こうするとだめだとか、こういうことをやって少し有名になりたいとか、評判をとりたいなんていうのは瞑想じゃない。まったく無条件で、ばあっと放射して、むしろ成功しないほうが面白いと思う。

横尾:たとえば、人為的な策を練って何かやってやろうとか、利害関係のうえに立って結果を考えるというようなものじゃなくて、ただ直感的に面白いという、何か遊びの精神のようなものをいうわけですか。

岡本:そういうこともいえるし、生きる情熱、これがぼくは瞑想だと思うね、無条件だし、計算ずくじゃないわけだから。まあ、自分のことはいうのはあれだけども、ぼくは美術界で好かれないってことを前提としてやってきたわけだ。だから、食えないじゃないか、食っていけないんじゃないかと。じゃあ、食っていけなくていい、死んでやろうというぐらいの覚悟で、戦争直後始めたんだね。

『今、生きる秘訣 横尾忠則対話集』(光文社文庫)
 

横尾忠則×今西錦司「若いときに枠組みを作れ」

 投稿者:チンパンジー・グル  投稿日:2019年 4月13日(土)09時41分34秒
  横尾:40以降はどういうふうにして、生きてゆけばいいですか。

今西:40以降はやっぱり、40以前に作ったデッサンですね、ラフな骨組みを、だんだん地につかしてゆくこと、それをもう一生かけていったらええと思うね40以前に作った自分のデッサンといいますか、枠組み、これが大きければそれだけ大きい仕事ができるし、小さければ小さい仕事しかできんということやね

それでも枠組み作った人たちは偉いのよ。大学の先生のなかには、一生懸命読んでいるけど、なんにも自分の枠組みを作らずに40、50となってしまう人がいる。これは絶対新しいのを創りだす人ではないですよ。そんなものはもう望みないな。学者のなかでいうたらくずですわ(笑)。えらい悪いこと言うけど(笑)。

芸術の世界のことは、ぼくは事情はわからんけど、やっぱりね。芸術の世界でも若いときのほうが、本当にええのやちゅう人はあるね。

横尾:ありますね。

今西:我々の時代の漱石にしても藤村にしても、登場人物も筋も少しは変わりますけど、テーマちゅうものは同じなんですよ。一貫してるんですよ。それを超えられないのかもしらんけど。しかしその一貫したテーマをつかむのはやっぱり若いときにつかんでなきゃいかん。あとはぼくに言わせたらエラボレーションというかね、それをさらに精巧なものにしてゆくというのに余生を託すんじゃないかという気がする。枠組みの初めての発表っていうのは非常に荒いもんで、文学作品としてはいいもんでないかもしらんけどね。

今西錦司は最初の『生物の世界』から今日のいちばん新しい『ダーウィン論』に至るまで、ひとつもその枠を外しとらんと、ぼくの友達が言うてくれたんやけど、哲学者でもそんなんはわりあい少ないらしいな。

『今、生きる秘訣 横尾忠則対話集』光文社文庫
 

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